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第170回 シーズン17 エピソード10
広がりを求めて(後編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』として書籍化されています。

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登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。

ミルカさん:数学が好きな高校生。のクラスメート。長い黒髪の《饒舌才媛》。

瑞谷先生:司書の先生。定時になると下校時間を宣言する。

$ \newcommand{\REMTEXT}[1]{\textbf{#1}} \newcommand{\ABS}[1]{\bigl|\,#1\,\bigr|} \newcommand{\BAR}[1]{\overline{#1}} \newcommand{\HEART}{\heartsuit} \newcommand{\AA}{\alpha} \newcommand{\BB}{\beta} \newcommand{\CC}{\gamma} \newcommand{\DD}{\delta} \newcommand{\AAX}{\overline{\alpha}} \newcommand{\BBX}{\overline{\beta}} \newcommand{\CCX}{\overline{\gamma}} \newcommand{\DDX}{\overline{\delta}} $

図書室にて

ここは高校の図書室。 はいつものようにテトラちゃんとおしゃべりをしている。 先日ユーリといっしょに考えていた《三次元の数》の話だ(第169回参照)。

「……こんなふうに考えを進めて、 ユーリのいう《三次元の数》は作れないことが証明できたんだよ。 とてもうれしかったなあ」

テトラ「すごい……すごいです。 そもそも《複素数という数をさらに拡張できるか》という発想がすごいと思います。 問いの立て方といいますか」

「確かに、そうだね」

テトラ「それにしても、数式で表現するというのはとても強力な《武器》 だとあらためて思いました」

「僕もそう思うよ」

テトラ「はい……実数を数直線でイメージしたり、 複素数を平面でイメージしたり、それでとてもわかりやすく感じるのですが、 そういうイメージだけではだめなんですね。 だって《三次元の数》は何となくイメージできてしまいますから。 《空間の数》のように考えて『いかにもありそう』って思ってしまいます。 でもそれでは実数や複素数のような計算ができないという……」

「そうそう、まさにそこだね。 数式で表さないと、しっかりした議論が進まない。 人間の直感は簡単にだまされちゃうんだね」

テトラ「それから、先輩のお話をおうかがいしていて思ったんですが、 《三次元の数》は自分の重さでつぶれる怪物のようです」

「へえ……それはどういう比喩?」

テトラ「先輩のお話の中で、《三次元の数》を、 $$ a+bi+cj $$ という形で表現するところがありました」

「そうだね。 $a,b,c$ は実数で、 $i$ は虚数単位、 $j$ はよくわからないけれど実数ではない数として」

テトラ「そうです、そうです。それで、 そのように表現して、数のように計算できるとしたらどうなるかを考えて、 そうすると実は $a+bi+cj$ は複素数になってしまう…… そのところです。《数のように計算できる》という力というか、重さを与えると、 その重みで《三次元の数》が複素数につぶれてしまったように感じるんです」

「なるほどね。まあ、それもまた誤解を招きそうなイメージだけど、 気持ちはわかるよ。展開もできなきゃいけない、 因数分解もできなきゃいけない。 ということは、交換法則、結合法則、分配法則……という力を与える必要がある。 そうしないと《三次元の数》について計算を進めることができないから。 でもその計算のおかげで《三次元の数》が存在できないことがわかる。 うん、怪物かどうかはわからないけど、 重みでつぶれるというのはブラックホールっぽいね」

テトラ「はいっ!そうですね……ところで、交換法則というのは、 $a+b = b+a$ という法則でいいんですよね? あの、念のため」

「うん、そうだよ。交換法則を $+$ という演算に対していうならそうだね。 実数や複素数では、どんな $a,b$ についても、 $$ a + b = b + a $$ が成り立つ。これが交換法則。積についていうなら、 $$ ab = ba $$ だよ」

テトラ「はい。い、いちおうの確認でした」

「和の結合法則は、 $(a+b)+c = a+(b+c)$ だし、 積の結合法則は $(ab)c = a(bc)$ で、分配法則は $a(b+c) = ab + ac$ だね」

テトラ「はい、大丈夫です。そういう法則が成り立つことを使って、 計算を進めることができるわけですね」

「そういうことになるね。 《三次元の数》が存在しないという証明では、 その他に $i^2 = -1$ を使ったし、それから $j$ という数のようなものが存在するという仮定を使ったことになるかな」

テトラ「なるほどです。 $i^2 = -1$ を……あれっ?」

「?」

テトラ「……あれ? 先輩、ほんとうに《三次元の数》は存在しないんですか?」

「そうだね。そうなるよ。そのために証明したんだから」

テトラ「……先輩、ちょっと失礼させてもらっていいですか? 少し一人で計算したくなってきました」

「え? う、うん。もちろん」

テトラちゃんはノートとペンケースを抱えて、窓際の席に移る。 そして、何かの計算を始めた……。

「まあ、僕も、自分の数学をやろうか」

そんなふうにして、今日はめずらしく、 テトラちゃんはそれぞれに数学を考える時間を過ごすことになった。


しばらくして、ミルカさんが現れる。

ミルカ「今日はテトラはいないのか」

「いや、あっちで計算しているよ。何か考えたいことがあるらしい」

ミルカ「ふむ」

「さっきまで《三次元の数》が存在しないという話をしてたら、 何かを思いついたらしいんだ」

ミルカ「《三次元の数》とは?」

ミルカさんに《三次元の数》の話をする。

「……という話」

ミルカ「君は、四元数(しげんすう)の話は知っている?」

「四元数……そういえば、どこかで聞いたことがあるけど、詳しくは知らない」

ミルカ「四元数は、君の言葉でいえば《四次元の数》に近い数。複素数の拡張だと考えてもいい」

「え、ちょっと待って。だって《三次元の数》が存在しないのに、 《四次元の数》が存在するの?」

ミルカ「四元数では交換法則が成り立たない。 だから、君の証明がまちがっているわけではない」

「交換法則が成り立たない……そうか」

ミルカ「複素数を $a+bi$ で表して、《三次元の数》を君が $a+bi+cj$ で表したように、 四元数は一般に、 $a+bi+cj+dk$ と表される。気持ちとしては $a1+bi+cj+dk$ と書きたいところだが」

$$ \begin{array}{ll} a+bi & \REMTEXT{複素数} \\ a+bi+cj & \REMTEXT{《三次元の数》} \\ a+bi+cj+dk & \REMTEXT{四元数} \\ \end{array} $$

「なるほど。 $1,i,j,k$ の係数になってる $a,b,c,d$ は実数だね?」

ミルカ「そう。そして虚数単位 $i$ の役目を果たす数は $i,j,k$ の三種類。 もちろんこれらはいずれも実数ではない。そしてさらに、こんな式を満たすものとして定義される。

四元数 $a+bi+cj+dk$ で、 $i,j,k$ が満たす式

$$ \left\{\begin{array}{llll} i^2 &= -1 \\ j^2 &= -1 \\ k^2 &= -1 \\ ij &= k \\ jk &= i \\ ki &= j \\ \end{array}\right. $$

「へえ……そうか、複素数の場合は $i$ ひとつしかないから、 $i^2 = -1$ だけでよかったけど、 $i,j,k$ と三つもあるから式もたくさんいるんだね。 $ij = k, jk = i, ki = j$ というのは……サイクリックになってるね。 $i$ と $j$ の積が $k$ で、 $j$ と $k$ の積が $i$ で、 $k$ と $i$ の積が $j$ だから、 $i \to j \to k \to i \to \cdots$ だ」

ミルカ「そう。私も四元数についてそれほど詳しくはない。 しかし、この式からだけでもわかることはたくさんある。 たとえば、 $$ i^2 = j^2 = k^2 = -1 $$ だから、確かに $i,j,k$ は実数ではないといえる」

「ああ、それはそうだね。 $2$ 乗して負だから」

ミルカ「ここには $ij, jk, ki$ という三つの積しか出てこないが、 その他はすぐに導出できる。たとえば $ji$ は?」

「あ、そうか。四元数では交換法則が成り立たないから、 $ji = ij$ とは限らないのか。 ええと、 $ji$ はここから計算できるんだね?」

四元数に登場する $i,j,k$ は以下の式を満たす。 これらを使って $ji$ を求めよ。

$$ \left\{\begin{array}{llll} i^2 &= -1 \\ j^2 &= -1 \\ k^2 &= -1 \\ ij &= k \\ jk &= i \\ ki &= j \\ \end{array}\right. $$

ただし、結合法則と分配法則は満たすが、交換法則は満たさない点に注意すること。

ミルカ「君ならすぐにわかる」

「なるほど。確かに素直に考えれば計算できるね。 $ji$ を求めるんだから……」

$$ \begin{align*} ji &= j(jk) && \REMTEXT{$jk = i$から} \\ &= (jj)k && \REMTEXT{結合法則から} \\ &= (j^2)k \\ &= (-1)k && \REMTEXT{$j^2 = -1$から} \\ &= -k \\ \end{align*} $$

ミルカ「そう」

「だから、 $ji = -k$ になるんだ」

ミルカ「同様に、 $kj = -i, ik = -j$ などがいえる。 これらを使えば、四元数の積は具体的に計算でき、 しかも閉じていることがわかる」

「それにしても、 $i^2 = j^2 = k^2 = -1, ij = k, jk = i, ki = j$ というのはどうやって思いつくんだろう」

ミルカ「数学者ハミルトンが苦労のすえに発見したそうだ。 ハミルトンはそもそも数というものを公理的に考え、 結合法則や分配法則や交換法則などを満たすものとして数を整理しようとしたらしい」

「交換法則を除いていいなら、 もっと簡単な式でも四次元の数が作れそうなのにね。 だって交換法則抜きの加減乗除ができればいいわけだから……」

ミルカ「ふむ……」

そこに、テトラちゃんがノートをぶんぶん振り回しながらやってくる。

テトラ「先輩っ! あっ、ミルカさんっ! はっけんですっ! テトラ、大発見しましたっ!」

「さっきからの計算?」

テトラ「そうですっ! とても自然な《複素数の拡張》ができることに気付いたんですよっ! 《四次元の数》にすればいいんです!」

ミルカさんは、思わず顔を見合わせる。

ミルカ「四元数?」

「四元数?」

テトラ「四元数……って何ですか?」

「あのね、いまミルカさんと話してたんだよ。四元数っていうのは……いたっ!」

机の下から、ミルカさんのキックがの足に決まった。 かなり、痛いな。

ミルカ「ともかく、テトラの話を聞こう」

テトラ「え? あ、はい。ええとですね。先ほどあたしは、先輩から《三次元の数》の話を聞いていて、 こんなことを考えたんです」

こんなふうにして、テトラちゃんの研究発表が始まった。 驚きの発表である。

テトラちゃんが考えたこと

あ、あのですね。まだ考えている途中ですし、考えたばかりのことなので、まとまってなくてすみません。 考えた順番でお話しします。

まず、あたしは、複素数について考えました。複素数は、 $a+bi$ と表すことができます。

$$ a+bi \qquad \REMTEXT{複素数($a,b$は実数)} $$

でもここで大事なのは $a$ という実数と、 それから $b$ という実数の組……つまり、 $a,b$ という《実数のペア》で一つの複素数が表せるってことです。 これは以前も先輩方からお話をお聞きしました。ペアであることを強調すると、 こんなふうに書くことができます。

$$ (a,b) \qquad \REMTEXT{複素数($a,b$は実数)} $$

これで、実数が二つあるので複素数はいわば《二次元の数》なのでした。

ここで、あたしの中にひらめいたことがありました。それは……

実数のペアではなく、複素数のペアならどうなるの?

というアイディアです。複素数一つが《二次元の数》なんですから、 複素数のペアを作ったら《四次元の数》になるのでは! ……そんなふうに考えたんです。

アイディアその1

二つの複素数 $\AA,\BB$ のペアを考えてみたら、どうなるのでしょう…… $$ (\AA, \BB) $$ このペアは《四次元の数》を表すことになるのではないんでしょうか?

これがひらめいたので、あたしはもっと考えを深めてみたいと思いました。 なので、失礼させていただいて、一人で計算しようとしたんです。

ふわっとしたイメージだけで《四次元の数》を考えたら、 何を考えているかわからなくなりますから、 《とにかく数式で表現しなくては》と思いました。 でも、こんな《四次元の数》なんてどう考えたらいいかわかりません。

そのときに、もう一つのアイディアがひらめきました。

それは……

複素数での計算をまねすればいい!

ということです。

アイディアその2

二つの複素数 $a+bi$ と $c+di$ の計算は、 $$ (a,b) \REMTEXT{と} (c,d) $$ のペアで考えるとどうなりますか?

そのときの計算のようすを《四次元の数》に応用すれば、 面白いことが起きるのではないでしょうか。

あたしは、このアイディアでとても、とっても興奮しました! だって、 あたしでも数式で表現できそうに思えましたから!

「なるほどね! ということは」

ミルカ「いいから、君は黙っていた方がいい。テトラは話を続ける」

は思わず足を引く。


ミルカさんは指揮者のようにテトラちゃんに指を向ける。

は、はい。あたしはさっそく計算しました。

まず、 $a+bi$ と $c+di$ のです。 足し算を普通に計算すると、 $$ (a+bi) + (c+di) = (a+c) + (b+d)i $$ のようになります。ということは《実数のペア》で書くなら、 $$ (a,b) + (c,d) = (a+c, b+d) $$ ということですよね。この式をそのまま《複素数のペア》にあてはめますと、 $$ (\AA,\BB) + (\CC,\DD) = (\AA+\CC, \BB+\DD) $$ という式になります。これが《四次元の数》の足し算です!

それから、 $a+bi$ と $c+di$ のを考えます。 掛け算は、少し複雑になります。 $$ \begin{align*} (a+bi)(c+di) &= (a+bi)c + (a+bi)di \\ &= ac + bic + adi + bidi \\ &= ac + bci + adi - bd \\ &= (ac - bd) + (ad + bc)i \\ \end{align*} $$ この計算を《実数のペア》で書くなら、 $$ (a,b)(c,d) = (ac - bd, ad + bc) $$ です。先ほどのように、この式をそのまますっと《複素数のペア》にあてはめました。 すると、 $$ (\AA,\BB)(\CC,\DD) = (\AA\CC - \BB\DD, \AA\DD + \BB\CC) $$ になります。これを《四次元の数》の掛け算としましょう!

ここまで考えてきて、あたしはこんなふうにまとめました。

アイディアその3

《複素数のペア》を《四次元の数》として考えることにします。

《四次元の数》の和と積は、 $$ \left\{\begin{array}{llll} (\AA,\BB) + (\CC,\DD) &= (\AA+\CC, \BB+\DD) \\ (\AA,\BB)(\CC,\DD) &= (\AA\CC - \BB\DD, \AA\DD + \BB\CC) \\ \end{array}\right. $$ として定義するのが、とっても、正しいように思うんですが!

ミルカ「ふむ。しかしそれだと」

「ミルカさん。テトラちゃんの発表はまだ続くみたいだけど」

ミルカ「む」

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(2016年9月9日)

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この記事は『数学ガールの秘密ノート/複素数の広がり』として書籍化されています。

書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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