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第257回 シーズン26 エピソード7
確率の冒険:《命》に関わる確率(前編)

書籍『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』

この記事は『数学ガールの秘密ノート/確率の冒険』として書籍化されています。

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登場人物紹介

:数学が好きな高校生。

テトラちゃんの後輩。 好奇心旺盛で根気強い《元気少女》。言葉が大好き。

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図書室にて

は後輩のテトラちゃんと確率についてのおしゃべりを続けている(第256回参照)。

「じゃあね、テトラちゃんに確率のクイズだよ」

テトラ「あ、あたしでも解ける問題でしょうか?」

架空の細菌《○○菌》に関する問題」

問題(○○菌に感染しているか否か)

《○○菌》に感染している人は《全人口の $1$ %》である。

○○菌に感染しているか否かを調べる《判定キット》がある。

判定キットは感染しているか否かを《$90$ %の確率》で正しく判定する。

  • 《感染している》という判定のことを《陽性》と呼ぶ。
  • 《感染していない》という判定のことを《陰性》と呼ぶ。

ある人を判定キットで調べたら《陽性》だった。

この人が○○菌に実際に感染している確率を求めよ。

※注意:○○菌ならびに各数値はすべて架空のものです。

テトラ「それほど難しくはないですね。答えもすぐにわかります!」

「それはすごいな。答えは?」

テトラ「陽性だったんですから、感染している確率は $90$ %です」

「うん、そう思いたくなるけれど、それは非常によくあるまちがいなんだ」

テトラ「えっ!  $90$ %じゃないんですか?」

「ちがうよ。この人が実際に感染している確率は $90$ %じゃない」

テトラちゃんの解答

実際に感染している確率は $90$ %です。(←この答えは誤り)

テトラ「$90$ %じゃない……」

テトラちゃんは爪を噛みながら考え始めた。

「……」

テトラ「先輩? いろいろ確認してもいいでしょうか。 あたし、どうしても、 $90$ %に思えるんです。 だから、あたしの考えのどこが間違っているかを確かめたいので……」

「もちろん、いいよ。どうぞ」

テトラ「ここでいうパーセント(%)というのは、普通のパーセントですよね?」

「そうだよ。パーセントはパーセント。百分率。特殊なパーセントじゃない」

テトラ「ということは $90$ %というのは、 $0.9$ と置き換えてもいいですよね」

「もちろん。 $90$ %は $0.9$ と置き換えてもいいし、 $90/100$ としてもいい」

テトラ「そうですか……この問題に出てくる《ある人》というのは、 何か特別な人じゃないですよね」

「特別な人って?」

テトラ「たとえば、判定キットがうまく効かない特異体質……みたいな」

「そんな引っ掛け問題じゃないよ。これは純粋に確率の問題なんだから。 《ある人》はランダムに選ばれた人。 ○○菌に感染しているかもしれないし、感染していないかもしれない。 そして判定キットを使うと《陽性》か《陰性》のどちらかが必ずわかる」

テトラ「そうですか……この判定キットは本当に $90$ %で正しく判定できるんですよね?」

「うん。問題にある通りだね」

テトラ「そうですか……」

「テトラちゃんはどんなふうに考えたの?」

テトラ「単純です。あたしの考えはこうです」

  • (1)判定キットは $90$ %で正しく判定できます。
  • (2)《陽性》という判定が出たらそれは $90$ %の確率で正しい判定です。
  • (3)《陽性》というのは○○菌に感染しているという意味です。
  • (4)《陽性》という判定が $90$ %の確率で正しいんですから、《陽性》の判定が出たら $90$ %の確率で○○菌に感染しているといえます。

「なるほど。いかにも正しそうに聞こえるけれど、(1)(2)(3)(4)の中にはまちがいが含まれているんだ」

テトラ「不思議です! 不思議です! あたしにはこの(1)(2)(3)(4)の考えの進め方は《一点の曇りもない》ように見えるんですけどっ!」

「テトラちゃんがそう誤解するということは、世の中の人の多くもそう誤解するんだろうね」

テトラ「理解できません……」

「テトラちゃんの答えが何だか怪しいことはすぐにわかるよ」

テトラ「どうしてでしょう」

《条件をすべて使ったか》というポリアの問いかけをするとわかる」

テトラ「条件をすべて……使ってませんか?」

「テトラちゃんは、○○菌に感染している確率 $1$ %という情報をぜんぜん使ってないよね」

テトラ「ははあ……あっ、じゃあ、正解は $90$ %の $1$ %ですね。ええと、確率は $0.9$ %ですか?」

「それも違うよ。テトラちゃん、いまのはかなり行き当たりばったりに答えちゃったね」

テトラ「は、はい……そうですね。ちゃんと考えませんでした。 $1$ %という数値が出て来たから機械的に掛けてしまいました。 テトラは反省しています。 先輩、どこがおかしいか、教えていただけませんか?」

「うん。順序立てて説明するね」

テトラ「いま、考えずに答えてしまったの、ものすごく恥ずかしいです……」

《正しく判定する》とはどういう意味か

「うん。じっくり行くことにしよう。まず、判定キットは、 $90$ %で正しく判定できるよね」

テトラ「そうですね」

「では、その《正しく判定する》というのはどういう意味だろう」

テトラ「《正しく判定する》というのは『《感染している》人に対して《陽性》を示す』ことです」

  • 《感染している》人に対して《陽性》を示す

「いや、それだけじゃまずいんだよ」

テトラ「ええっ!」

「だって……もしもだよ、もしも、判定キットがすべての人に対して《陽性》を示すとしたら?」

テトラ「え……《感染している》人も《感染していない》人も《陽性》にしちゃうんですか? それは何も判定してないですよね」

「うん。それじゃ何も判定しない。それでも、テトラちゃんがいま言った『《感染している》人に対して《陽性》を示す』という振る舞いになってる」

テトラ「あっ、それは……確かにそうですね。誰にでも《陽性》を示しちゃうから、《感染している》人に対しても《陽性》を示します……」

「だから、テトラちゃんの《正しく判定する》という理解には欠けているところがある。こんなふうに、もっと精密にいわないといけない」

  • (ア)《感染している》人に対して《陽性》を示す
  • (イ)《感染していない》人に対して《陰性》を示す

テトラ「《正しく判定する》というのは、この(ア)と(イ)の両方を合わせた主張なんですね」

「そうだね。それが《正しく判定する》という意味」

テトラ「あの……これは言い訳に聞こえるかもしれませんが、 あたしは心の中ではちゃんとこの(ア)と(イ)の両方を考えていたんです。 でも(ア)を言うだけで(イ)も言ったことになると勘違いしていました」

「そうだね。これは確率とは関係なく、よく起きる勘違いだよ。 《感染している》人に対して《陽性》を示すと言っただけでは、《感染していない》人については何も言ったことにならないんだ」

テトラ「ところで、あたしが○○菌の問題をまちがえたのはこれが関係しているんでしょうか。 いえ、まだ、どこが間違ったのかわかっていないんですが……」

「関係しているよ。《全体は何か》に関わってくるからね」

全体は何か

テトラ「全体は……何か?」

「判定キットは、 $90$ %で正しく判定できるよね。 さっきは《正しく判定する》を調べたけど、 今度は $90$ %という数を調べてみよう。 $90$ %というのは何だろう」

テトラ「$90$ %とは何か……はい、 $90$ %というのは、全体を $100$ としたとき $90$ になる割合という意味です」

「そうだね。全体を $1$ としたときに $0.9$ といっても同じことだけど、 ともかくパーセントや割合を考えるときには必ず、必ず、必ず《全体は何か》と問わなくちゃいけない。 さもないと話は大きく変わってくるから」

テトラ「はい……それはテトラも理解しているつもりです。 学校で割合を学んだとき、先生からもそれはくどいほど言われました。 たとえば《$3$ 割引き》や《$10$ %値上げ》や《半額セール》というときに、 何を $10$ 割と見なしているか、どの時点の値段を $100$ %と見なしているか、半額にするもとの値段はいくらか……」

「何気に全部値段だね」

テトラ「あっ、た、たとえばです……」

「茶化してごめん。ともかく《全体は何か》を問わなくちゃいけない」

テトラ「でも今回の○○菌のとき《全体は何か》に誤解はないと思うんですが…… だって、判定キットは $90$ %の確率で正しく判定するんですよ。 全体は……全体です。そしてそのうちの $90$ %が正しい判定になります。違うんでしょうか?」

「その《全体》を吟味する必要があるんだよ。さっき《正しく判定する》をこんなふうに表現したよね」

  • (ア)《感染している》人に対して《陽性》を示す
  • (イ)《感染していない》人に対して《陰性》を示す

テトラ「はい」

「だから、これをベースにしてきちんと書いてみると、 $90$ %の意味が明確になる」

  • (あ)判定キットは、《感染している》人に対して $90$ %の確率で《陽性》を示す
  • (い)判定キットは、《感染していない》人に対して $90$ %の確率で《陰性》を示す

テトラ「はい、わかります」

「ここまでの話で、テトラちゃんは自分の考えとのズレにまだ気付かない?」

テトラ「は、はい……気が付きません。 あたしはこの(あ)も(い)も、その通りだと思います。 そして、あたしの理解とまったくズレていないと思うんですが……」

「テトラちゃんがそう思うとしたら、世の中のほとんどの人が誤解するんだろうな……」

テトラちゃんは不安げな表情になり、ゆっくり両手を上げて頭を抱えた。

テトラ「う、うう……あたしの思考にはどこか大きな《盲点》があるんでしょうか。 先輩のお話には難しいところがありません。シンプルですし、わかりやすいですし、 そして、あたしの考えとズレてないように思います。 でも、あたしは大きな間違いをしている……」

「ここまでの話をまとめてみるよ。《全体は何か》に誤解があるんだ」

テトラちゃんの考え(間違いが含まれている)

  • (1)判定キットは $90$ %で正しく判定できます。
  • (2)《陽性》という判定が出たらそれは $90$ %の確率で正しい判定です。
  • (3)《陽性》というのは○○菌に感染しているという意味です。
  • (4)《陽性》という判定が $90$ %の確率で正しいんですから、《陽性》の判定が出たら $90$ %の確率で○○菌に感染しているといえます。

判定キットの性質(間違いは含まれていない)

  • (あ)判定キットは、《感染している》人に対して $90$ %の確率で《陽性》を示す
  • (い)判定キットは、《感染していない》人に対して $90$ %の確率で《陰性》を示す

テトラ「……もしかして、あたしは(2)を勘違いしているんでしょうか」

「(2)のどこがおかしいと思う?」

テトラ「《陽性》という判定が出たらそれは $90$ %の確率で正しい判定ですが、 《陽性》という判定が正しい判定であるというのは、《感染している》人が全体のとき……ですよね」

「そう、そこだね」

テトラ「いまここに《感染している》人だけが集まっているとします。 そこから一人を選んで判定キットを使うと、 $90$ %の確率で《陽性》を示します。 なぜなら、《感染している》人に対して、 $90$ %の確率で《正しい判定》を示すからですっ!」

「そういうこと」

テトラ「わかりましたっ! 確かに《全体とは何か》を誤解していました。 ○○菌の問題では《感染している》人と《感染していない》人が混ざっているのが《全体》ですね。 その《全体》からランダムに選んだ人が《陽性》を示したということだけがわかっている」

「テトラちゃんは、次の二つの状況を混同したんだね」

  • (カ)《感染している》人と《感染していない》人が混じった集団から選んだ人が《陽性》だった
  • (キ)《感染している》人だけが集まった集団から選んだ人が《陽性》だった

テトラ「はわわ……(カ)と(キ)はまったく違う状況ですね!」

「判定キットが $90$ %で《陽性》を示すのは、あくまで(キ)の状況なんだ」

テトラ「……あらら? ○○菌の問題では(キ)じゃなくて(カ)のときに、 実際に《感染している》確率を求めるんですよね。 この(カ)の状況での《感染している》確率なんて、求められるんですか?」

「いまのテトラちゃんなら、一つのヒントで求められると思うよ」

テトラ「ヒント?」

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(2019年4月19日)

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書籍化にあたっては、加筆修正をたくさん行い、 練習問題や研究問題も追加しました。

どの巻からでも読み始められますので、 ぜひどうぞ!

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結城浩(ゆうき・ひろし) @hyuki


『数学ガール』作者。 結城メルマガWeb連載を毎週書いてます。 文章書きとプログラミングが好きなクリスチャン。2014年日本数学会出版賞受賞。

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